中村司のプロフィール

中村司のプロフィール

難病請負人 中村 司(なかむら・つかさ)

(財)日本東洋医学財団® 理事長。
東海理学治療センター 特別顧問。
中村式温熱療法 提唱者。
【中村式温熱 公式HP:http://hyperthermia.asia 】

祖父のガン、自身のリウマチを短期間で克服した経験を持つ東洋医学の専門家。
国内最先端の医療技術を持つ難病専門病院で、東洋医学部門の責任者をつとめた後、横綱・大関、金メダリスト、プロ野球選手、ダーツ世界2位の勝見翔選手らプロのトップアスリート、衆参国会議員、俳優、歌手、テレビキャスターなど40年間・15万人の治療を担当してきた東海理学治療センター 特別顧問に就任。
「難病請負人®」として知られ、講演等の招致・活動は世界30ヶ国にも及ぶ。

また、インド音楽界の人間国宝をはじめ、国際的な指揮者や演奏家、著名作家、大学教授らも多数愛用し、「使いやすさ日本一」と称される『中村式温熱療法®』を考案。
家庭用医療機器としては異例の20年以上、累計61,000台のロングセラーとなっている。
治療法開発者でもあり、東洋三理療法®、KIK療法(TM)、自在鍼・自在心セラピー(TM)、活性免疫温熱療法(TM)などを創案。

著書に『リウマチ卒業生に学ぶ9レッスン』があり、Amazon「医療・健康」の5部門で首位を独占。
「ツキを呼ぶ魔法の言葉」など350万部以上ベストセラーの五日市剛氏、ケイシー療法の第一人者 福田高規氏からも祝辞が寄せられる。

【 海外・国内の主な活動実績 対談・共同講演など 】

2014年8月
安保 徹 (あぼ とおる) 新潟大学 名誉教授 (医学博士) と共同講演。
2014年6月
「医学不要論」「日本の薬漬けを斬る」など多くのベストセラーで知られる内海聡医師と。
2014年6月
安保徹 新潟大学名誉教授と毎年、共同講演の講師を務める代替医療の松田史彦医師と。
2011年7月
香港で開催された「世界記憶力コンテスト」で優勝し、『世界一』に輝いた「記憶術」と「短眠法」の第一人者 藤本憲幸氏と。(国内外で619冊の著書を刊行)
2004年4月
県庁支援事業にて、難病連パーキンソン病友の会 基調講演。 機関紙にコラムを寄稿。
2014年
米国・セドナ 講演。 カナダ・バンクーバー講演。
2013年
インド・ニューデリー 講演。

中村司 難病請負人への道のり

こんにちは。 難病請負人 中村司です。

「難病請負人って、いったい何?」

 あなたは、そう思ったかもしれません。

 その前に、難病とは何か。厚生労働省が定めた定義によると、

 ●原因不明、治療法未確立であり、かつ,後遺症を残すおそれの少なくない疾病

 ●経過が慢性にわたり、単に経済的な問題のみならず介護等に著しく人手を要するために家庭の負担が重く、また精神的にも負担の大きい疾病のこと。このサイトで取り上げている「脊柱管狭窄症」も公費対象の難病に指定されています。

 実は、私が治療家として最初に取り組んだのも「難病」でした。病名は「関節リウマチ」。

 なぜ、いきなりそのようなハードルの高い「治療」に取り組むことになったのか?その治療を通じて、どんなことを発見したか?

 これから、少しお話させて下さい。

 私が、あなたの「苦しみ」を他人事とは思えない理由もお伝えしたいと思います。

寝たきりの患者の家族として過ごした少年時代

私が治療家として初めて取り組んだ「難病」。

 それは、関節リウマチでした。患者は同居していた祖母(父方の)です。

 祖母は、私が物心ついてからずっと寝たきりでした。原因はリウマチで、あちこちの関節が痛いから。私が生まれる10年も前からそんな状態だったと言います。

痛みと寝たきりが長く続いたことによる筋力の低下によって、足が細くなってまったく歩けないのです。立ち上がることも不可能でした。私は祖母が寝床から立ち上がり歩く姿を見たことは、一度もありませんでした。

介護保険などない時代ですから、家族全員で介護をします。

トイレは道具を手差しし、入浴は、家族全員で毛布に乗せて風呂場まで祖母を運んでいくのです。

 両親が共働きだったので、家族の中で祖母と過ごす時間が一番長いのは私でした。

 「関節の痛みが楽になる、リウマチが良くなった人がいる」

 とのことで、さまざまな薬や漢方薬を取っ替え引っ変え飲んでいましたが、どれも劇的な効果はもたらしませんでした。「治りたい!」と願っているのに、それが叶わないつらさ。

 そんな祖母の姿を、毎日見ていた当時の私の夢は、

 「医者になり、おばあちゃんを歩かせること」

 でした。

 「寝たきりになりたくない!! 家族の世話になりたくない!!」

 という患者さんの訴えをよく聞きます。その気持ちは痛いほどわかります。

 祖母は亡くなるまで27年間寝たきりでした。つらかったと思います。病気で動けないことはもちろん、家族に迷惑をかけているということも、患者を苦しめるのです。

 「27年間に及ぶ壮絶な寝たきり」を家族として経験する中で、私は現代医療の無力さ、非力を私は骨の髄まで味わいました。

 「何とかしてあげたくても、そばで見ていることしかできない」という重い現実、ジレンマをずっと背負ってきたこと。この体験が、私に難病治療者への道を歩ませる大きなきっかけとなったのです。

「関節の痛みは遺伝する!?」~いつ患者になるかもしれないという恐怖を乗り越えて〜

私は、寝たきりだった祖母の介護体験を通じて、

 「リウマチを治せない医学はリウマチ患者にとって全く価値が無い。

世界中を周ってでも、関節を良くする方法を探さねばならない」

 と考えるようになりました。

 この思いは、さらに後年、もう一人の母方の祖母までも数十年のリウマチ闘病生活を強いられたことで、より強くなっていきます。

 リウマチは家族に遺伝する可能性があると言われています。この祖母も、20年以上、いっこうに改善しない関節の痛みと付き合うことになりました。

そればかりではありません。中村の家系では、伯母が膠原病(こうげんびょう)、いとこも同様の病気になっています。

 つまり、中村は「関節の痛み・リウマチ」という病気の世界では、まぎれもない“サラブレッド”なんですね。まったく嬉しくはないですが、血統書つきです(苦笑)

 そんな事態を目の当たりにして、私の危機感はさらに強まりました。

 「このままほおっておいたら、インフルエンザみたく親戚、家族中に、関節の痛みが蔓延するかもしれない!」

 冗談ではなく、私は本気で焦っていました。

 お尻に火が付いたら誰でも真剣になります。相当な危機意識を持って、真剣に関節の痛みを改善、病気を治癒する方法を模索し始めたのでした。

患者として出会った「東洋医学」の凄い力に目覚める

そんな折、人生を変える出来事に遭遇します。

車に追突される事故に遭い、ムチウチになって患者として通院することになりました。

ところが、いくら病院に通っても高額な検査をするばかりで、治りません。

将来を考えると、不安がつのるばかりです。
痛い、気持ち悪いという状況の中、つらい毎日を過ごしていました。

そんな時、東洋医学の治療によって絶望の淵から救われたのが、私の転機となりました。

最悪のフラフラ状態だったのが、たった1回、約30分の治療でルンルン状態まで良くなっていたのです。

今も鮮明に憶えているほど、大きな奇跡の起こった瞬間でした。

それ以来、日本一の治療家や高名なドクターの教えを受けつつ「東洋医学はものすごい力を持っている!!効果は絶大!!」と確信し、その不思議な魅力にどんどん惹き込まれていきます。

「なぜ、治せない?」現代医学の限界を痛感した病院勤務時代

そうして勉強したことを活かすべく、私はとある西洋医学の病院に、東洋医学の部門責任者として勤務することにになりました。

そこは難病治療で非常に有名な病院でした。

 「あの時は知識も経験もなくて、助けてあげられなかった祖母の代わりに、目の前の患者さんに全力を尽くそう」

 私は希望と使命感に燃えていました。

 しかし、残念ながら、その使命は果たすことができなかったのです。この病院で学んだのは現代西洋医学での治療の限界と、名医とされるドクターですら「難病を完治へ導くことは不可能である」という重い現実でした。

 お金と時間をかけても、患者さんは病院では治せない…。そのことを認めるのはつらかったですが、同時に別の思いも湧いてきました。

 「それならば、自分のこの手でなんとかしたい!」

 自分が学んできた東洋医学の理論に基づき正しく治療を実践すれば、祖母と同じように苦しんでいる難病の人たちを、せめて今よりは楽にしてあげることができるはずだという確信がありました。

 こうして中村は勤めていた病院を後にし、治療家として独自の道を突き進むことになったのです。

単なる治療家ではなく「難病請負人」となった理由

病院を辞めた後の中村は、単なる治療家を目指すつもりはありませんでした。

どうせやるなら、難病治療。誰もが「完治は無理」「劇的な治療法はない」と考える分野で、患者さんの力になることを決意したのです。

 あえて困難な道を選んだ背景には、難病といわれる関節リウマチで苦しんでいた祖母を誰も救ってあげれなかった、悔しさ、無念さがありました。

 「あの時の無力な自分は、もう嫌だ」

 この思いが、私を突き動かす大きな原動力となったのです。以前にも増して、私は猛勉強をし、膨大なお金と時間と労力を費やしました。

 どこかに素晴らしい治療家がいると聞きつけては、その門を叩きました。難病を治す方法は1つではない。しかし、基本となる「王道」はある。「体」が良くなっていく、きちんとした「仕組み」がある。そのことに確信を持ち、独自の治療理論を確立。

 今では、難病治療で一定の成果をあげることができるまでになりました。

難病請負人 中村司の誕生です。

 私は現在も、日々患者さんへの治療を通じて、理論を進化させています。まだまだ難病で苦しむ人は、日本中にたくさんいます。その方たちを、一日も早く痛みやつらさから解放してあげたい…そのために最善の治療を行い、体そのものを「再生」させるべく、難病請負人 中村司の挑戦は続いているのです。

東洋医学と西洋医学との違い
脊柱管狭窄症も楽になる!?家族みんなで温熱家族 9レッスン

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